2017年12月11日月曜日

ちと、つち

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わたしのなかで、荒波のような数週間が流れ、そしてふたたび地に足がつく。
帰ってきたと感じ、おかえりなさい、と口にして、わたしは何度も何度も自分で台無しにしたところへ戻っていける。
それは、誰かがいかに、そこは不完全で、アンバランスだと行ったとしても、わたしにとって、平らで、うるおった地面なのだ。




年末という感じが、ふつふつと湧いてくる。
年々、クリスマスという浮かれた感じが減っていくにつれ、それは顕著になっているよう。
急激に気温が下がり、お腹が痛くてずっと布団に入っていたら、まるで布団が自分のふかふかの毛皮になったようで、その肌になじんだ温度とにおいを鼻の下からぐっと吸い込んで、けものの気持ちになる。
この家は、冬はとても暗い。道路のむかいの山が、まだ高いうちから日を遮り、ずっと陰っている。
だから、まるで家自体が、なんだか洞窟のよう。動物の冬眠のよう。
でも、お昼の13:00から14:00くらいのあいだ、二階の寝室には金色のはちみつみたいな光が入ってくる。
それは、暖地らしく、真冬でもちゃんとぬくもっていて、まるでそれを希望に生きているような気になる。
昼寝をしている井上の、顔から下だけ、光があたり、かさついた唇が白っぽくなる。目元はやすらかな日陰に入って、わたしの心は安らぐ。
こちょねが足元の毛布をこねて、丸くなる。
わたしは幽霊みたいにそれを見ている。5分も1時間も24時間も、そんな感じがする。

おとうさんと、おかあさんが、田舎にやってきた。
4人で焼肉に行き、おいしく食べる、一緒にごはんを食べ、話すよろこび。
そして、わたしは井上をログハウスに残し、仕事のためにおとうさんとおかあさんの車にのって一緒に大阪にやってきている。(仕事です。)
息子でいる井上がいなくても、わたしはそこにいてもよくて、そこにいてもいい、なんてこと自体がなんだか変なくらい、わたしはここにいていい感じがする。もちろん、そこには少しの遠慮とか、いいんだろうか?という思いはあるんだけど、後部座席から見た、2人のあたま。それが、眠気と一緒に淡く光って遠のいていくと、全部許されているような心地になった。



2018年のわたしの抱負は、”ウーマン・パワー”ということになった。
わたしは細々と、体を鍛えたり、食事を工夫したり、生活を整えたりとはじめていて、それはつまり地に足をつけて生きるためなのだ。
爪先からかかとまで、根っこがはえるくらいしっかりと足をおろして、どんどん歩いていく感じ。どんな険しい道でも、どんなつまらない道でもへこたれないように。
血と土のイメージは、とてもセクシー。力強くて少し性的で、自由な感じ。
それは毎日の生活と地続きになっている。

久しぶりすぎてとりとめもなくなってしまったのだけど、それくらい、わたしはとても元気。
ということは、井上もとても元気!
今年を気持ちよく締めるために、12月をしっかり走るつもりです。

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