2016年11月25日金曜日

横顔、実り、黒い猫

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昨日の夜は、2時間くらいかけて、次にアップする曲のための動画を撮った。




久しぶりに濃いめの化粧をする。黒いアイシャドウに、しっかりとアイラインを引いて、つけまつげ。ひさしぶりにすると、目がなんだかしばしばする。
横顔をレンズがじっと見ている。井上が、証明にタオルをかけたり、外したり、向きを変えたり。あるものでやるための工夫を重ね、無事に撮影終わり。井上が、ばっちり編集してくれるみたいなんで、できあがったらぜひ見てください。

夜が明けたら、まだしとしとと雨が降っていた。用事ででかけた井上が雨に濡れて帰ってきて、二人でお風呂に入る。なんと疲れて、昨日は化粧も落とさずに寝てしまったから、わたしは顔面がひどいことになっていた。

朝から二人でのんびりお風呂に入れる幸せというのは、お金ではけして買えない。わたしたちの生活にとって、それは貴重でもなんでもないことだけれど、きっとそれは何ものにも代えがたいぜいたくにちがいない。



雨は、お風呂から上がったころ、すぅーっと止んで、光が差してきた。指先の方からじんわりとあたたかくなるような、やさしい光。

畑へ出て、虫を捕る。
虫を捕るのは主にわたしの役目となっている。葉をじーっと見て、表にも、裏にもひっついている芋虫をぽいぽい捕って、申し訳ないけど足で踏んで殺す。

虫を捕る。足で踏んで殺す。

それを毎日毎日繰り返しているけど、不思議といなくならないんだよな。上手に隠れているのか、それともどんどん新しく生まれているのか、もちろんそのどっちもなんだろうけど。

虫は、たしかにわたしたちの畑を食い荒らすけど、わたしは全然嫌でも苦でもないし、憎くもない。全部食べられてしまわないように、わたしたちが採って食べる分あればいいし、別に葉っぱが虫食いであっても、わたしは全然平気だ。売っている野菜はとてもきれいだけど、味はうちの方がおいしいし!

あ、でも、アブラムシは少し困ったな。セロハンテープを指に巻きつけて、ちいさなちいさなアブラムシを、ぺとぺとと引っ付けて駆除するのは、ちょっと骨が折れた。


きつねづかに植えるための果樹を、4本買ってあったので、それも植える。

クコ、カリン、白桃、アメリカンチェリー!これが今年の秋~冬植えの果樹。

うーん、実る姿を想像するだけで心が躍るし、よだれが出そう。日当たりや、受粉のことを考えながら、植える場所を決めて、穴をせっせと掘る。
穴掘りは、やっぱり井上がすんごく早くて上手。わたしは、力もないし、なんだかまごまごしている。虫を捕るとか、穴を掘るとか、うまく分担ができていると言えばそうだな。
あの樹は切ってあれに植え替えようか、とか、ここに鶏小屋をつくろうか、とか、そんなことを話しながらやる。

植えたあと、腐り落ちた果実を、おまじないみたいに植えた根元に落としてぐちゃぐちゃにしておく。これはなんだか、良い肥料になるのではないか、という期待を込めて。
ああ、数年後、ここはいったいどんなにすてきな場所になっているんだろう?


作業に疲れて、二人でベッドにへろへろと横になってしばし眠る。
寒いのか、こちょねが布団にもぐりこんできて、いっぱしの人間のように一緒に寝る。ときどき、ぷぅぷぅ言いながら。井上と互いをあたためるように絡めた足が少しずつぬくまっていくのとおなじに、瞼がすーっと下がっていった。

起きたら、もう、夜のとっかかり。
冷蔵庫のもので、おいしくてありきたりで、中途半端な料理を何品も作って、二人でてんで自由に食べる。胃の中にするりと落ちて行って、ぽっと温かくなる。


食後、お風呂のお湯を溜めながら、ミシンで縫い物。防寒に買った切る毛布の丈が、二人とも長すぎたから、簡単に裾上げをしようと思って。厚い布地で、まっすぐ縫うだけなのに、全然上手にできなくて、おもしろかった。
裏まで縫ってしまって、ちいさく空いてしまった穴まで、愛おしいよう。


二度目のお湯に浸かりながら、中学時代のあることを急に思いだす。
それは高校受験の面接のための模擬面接のときのこと。同じ高校を受験するわたしを含め4人が、中学の社会の先生を相手に面接の練習をする。
基本的な面接の流れを教えてもらって、それから、いくつか質問されて、それに答える。

わたしのとなりにいた男の子が、答えるなかで「昔は~」と発言したとき、先生は急に回答を遮って怒り出した。
「お前らみたいなたった十数年しか生きてない人間が、『昔』なんて言葉を使うな!」みたいな感じで、先生のキレっぷりに、男子は言葉を失っておろおろしていた。
わたしは、そのとき、「はぁ」と思った。それは「はぁ?」であり、ため息であり…うーん、先生が言っていることはたしかにそうだと思ったけど、それは腑に落ちないまま、わたしに10年以上もぶら下がり続け、そして今日この湯船のうえに浮上したのだ。

ずっと腑に落ちなかったのは、その言葉に、自分が傷ついたからだと、今になって気づく。
先生からしたら、たかだか十数年のわたしたちの時間は、でもたしかに膨大で延大で、いろんな記憶や思いがみっしりと詰まっている。その意味や色やにおいや感触や感情を、先生は「たった」という一言で否定したのだ。
そのころ、わたしは今よりもずっと「ふつう」でいることが辛かった。15歳のわたしは、それまでの人生の体感の長さに呆然とし、絶望していたのに、それは先生にとって「たった十数年」でしかなかった。

そのときはなんともなかったし、その日はそのことなんか深く考えもしなかったのに、急に湯船のなかで涙がこぼれた。
あの日に今の自分が表われて、そこにいる4人を集めてぎゅーっと抱きしめたいような気持ちだ。

28歳のわたしの人生よりずっと濃く生きている15歳だっていっぱいいて、それは年数だけではけして測ることができない。たとえ100年生きていても、生き方次第では、だれかの十数年にも及ばないんじゃないかな。そういうものなんじゃないかな。

長湯から上がると、井上が動画を仕上げて、にんまりしていた。やったー!



そうそう、昨日、夕ぐれどき、きつねづかの裏手に行ったとき、うすくらがりのなかを、黒い猫が、たーっと走っていった。
あれは、きっと、おつゆだった。
あんなにちいさかったおつゆ。生きているのかもわからないまま、餌をやりつづけていた。もしかしたらちがう猫や、ちがう動物が食べていたのかもしれないけど。

おつゆはわたしたちの猫にはならなかった。でも、おつゆが大きくなって、あんなに立派に走っていった。それだけで、胸がいっぱいになった。


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2 件のコメント:

  1. こんにちは(^^)
    元気そうで良かったぁ♪私もちょっと心配してました(^^;)
    お母さんも良い方向へ向かってくれると良いですね。

    中学時代の話は、自分の価値観や考え方を子供に押し付けてるだけなのに、それに気づかず怒る大人・・・
    その先生なんだかなぁって感じですね・・・。


    それにしてもよう子さんは虫に強いですね笑
    うちの嫁はキャベツについてる小っちゃい芋虫でぎゃあぎゃあ騒いでますよ(^^;)
                 たかのん

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  2. たかのんさん、こんばんは!
    母もなんとか元気でいてくれて、やっとこさゲンジツに戻って来ました!

    自分も一応大人と言われる歳になって、大人にもいろいろあるんだなぁとわかる部分もあり…。
    でもやっぱり若いとか大人だとか関係なく、相手はひとりの人間なんだか、ちゃんと尊重しなきゃいけないんですよね。

    奥様かわいらしいですね(笑)
    わたしも、横浜に住んでいたときに、キャベツに虫が付いてたらたぶん叫んだと思います。
    自分で畑やってるとなぜか虫にめちゃくちゃ強くなれますよ!

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