2016年9月29日木曜日

母、やさしい家族会議、うな重

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20日ぶりに会った母は、一回り小さくなっていた。

井上のバイクのケツに乗って、三重県の南の端から、伊勢まで、約4時間。
ちょっと痩せたやん、というと、まるで少女みたいに恥ずかしそうにして「これ、Mサイズ」とTシャツを指さしてはにかんで笑う。




伊勢にあるじいちゃんとばあちゃんの家に、今、母は居候しながら治療している。ぶどうとなしをいただきながら、母にいろいろと尋ねる。傷のこと。身体の調子のこと。それに、母は、いつもよりゆっくりな口調で、ていねいに答えていった。

母は、すっきりとしていた。手術前よりも、ずっと、気持ち良い空気をまとっていた。

椅子に腰かけて、傷口が折れないように、足を前の方に伸ばして座った母には、たしかに芯のようなものが一本すっと通って、安定していて、ちょっと神々しい感じさえした。
母は、母が望むすがたのために、病気になったのかもしれない、とふと思った。母は仏教徒。仏になろうとしているのか。

以前は、もっと気持ちがあっちゃこっちゃしていて、どこか不安定な感じがしたのに、しっとりと、女の良い部分が引き出されているみたい。父から、途中電話がかかってきて、それに応える母は、なんだか新鮮な顔をしていた。
こんなふうに大事にされて、もしかしたら、ある意味、もう一度春が来たのかもしれない。

母と分かれるのがさみしいと思った。そんなこと思うことは、ずっとなかったのに。わたしの子どもの部分が、ちょっと溢れた。
ここにいたって、わたしは何もできないけど、母と、なんでもない話をしていたいと思った。

そのときは漠然とそう思っていただけなのに、今こうして言葉を打ちながら、涙が止まらない。わたしは、ちいさい子どものまま、ここまできてしまったところがあって、それが今噴出している。菩薩のような母。わたしの知っていながら知らない母。母という概念そのものみたいな、母。
わたしは母からたしかにいろんなものをもらって生まれ生きてきたのに、目の前の痛みに精一杯で、それに対して不誠実だった。それがわたしの罪だと思う。


10/5に細胞検査の結果が出る。



伯母が帰ってきて、帰り道の近道を尋ねると、じいちゃん、ばあちゃん、伯母、母がそれぞれが思う近道をおのおのに一生懸命しゃべるので、どんどん収集がつかなくなり、わちゃわちゃになった。ああでもない、こうでもない、口で説明するのは難しい、とか言いながら、同じことをずっとしゃべっている感じが、すごくあったかかった。

結局、すごくおいしい鰻屋さんに寄って、そこから帰ることに。

伯母の車に母が乗って、わたしたちを先導してくれる。暗い川沿いの道を、峠の方に向かって走り、鰻屋さんの駐車場で別れた。母は、もうちょっと一緒にいたかったと素直に行って、そのあと、気を付けて!と笑顔で言った。

うな重は、とんでもなくおいしかった。井上と、命の味そのものみたいなうなぎの熱々をほふほふと食べながら、すがすがしいような、泣きたいような、楽しいような、むなしいような、ごちゃまぜの自分を感じていた。


帰り道、おどろくほど、信号にも引っかからず、ひたすらバイクを飛ばして、また南へと帰る。山の風はずいぶん冷たくなってきた。季節は4つではない。肌の体感ではそれは無数の境目なき境目としてあって、そのたびににおいが変わり、葉の色が変わり、気持ちがゆすぶられる。

家に帰りつき、あかりを灯して、無事に着きましたのメールを母に送る。

眠気は母のにおい。夢は見なかった。



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