2016年9月24日土曜日

雨と鶏ガラスープ

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わたしがはじめて鶏ガラからスープを引いたのは、社会人になってしばらくたったころ。今日のように雨が降っていたことを覚えているし、あれはもしかして梅雨時だったのかも。

そのころ、わたしは飢えていた。手取りのお給料はわずかだったし、奨学金を返済して、毎月のわずかな積み立てをしたら残りはびっくりするほど少なかった。そのちっぽけなお金のほとんどを、わたしは友人たちとの遊びに使ってしまい、毎月給料日前になると、冷蔵庫のなかは空っぽ。






そのことを、わびしいとか、不幸だとか思ったことはなかった。わたしはあまりひとりで食べる食事に興味がなく、それよりも楽しいことばかりをずっと探していたからだ。それでも腹は空く。もやし、豆腐、鶏胸肉、納豆、味噌、卵、小麦粉、米、乾麺。そんなものばかり食べていたっけ。


杉並の自宅から、1時間ほど歩いて中野の地下街までよく買い物に行った。乾物や、鶏肉を買う。肉屋はにおいがこもりいつも生臭かった。吐き気まで感じるよう、でもその内臓までさらけ出すようなにおいは、どこかわたしを安心させた。
いつも、鶏胸肉かささみの大きなパックを買う。小分けに冷凍して少しずつ使うのだ。牛も豚もあったけど、鶏肉くらいしか買えなかった。その日は特に心細いほど持ち金が少なくて、つい手に取ったのが鶏ガラだった。
わずかな肉が貼りついた骨。鶏ガラなど触ったこともなかったから、それが肉などほとんど付いていないことも良く知らないままかごに入れた。何せ安かったのだ。あんなに大きくて、30円くらいで買えたと思う。

帰り際、雨が降り出した。傘もない。でもバスに乗るお金は残っていなかったから、服の上から染みた雨に凍えながら歩いた。

帰ってすぐに肉を分けてせまい冷凍庫に突っ込む。鶏ガラの使い道を調べて、わたしはがっくりした。肉は食べるほどもないこと、煮込んでだしをとるくらいしか用途がないこと。スープなんてなくたって別に何も困ることはない。優先順位の最下層みたいな存在。しかも火にかけつづけるということはその分ガス代もかさんでしまうし。

でも、外は雨だった。お金も無いし、どこにも行けない気がした。だから、ほとんど仕方なし、という感じで、わたしはやってみることにした。

その当時のアパートのキッチンは、都内でよくある、キッチンとは名ばかりの、玄関横のわずかなスペースに、シンクとコンロ台がはりついただけのものだった。シンクは猫の額。コンロは、炊事をしない人が使うような、一口の据置タイプの安いもの。

ガラは、まるで宇宙人みたいだった。背中を丸めて入っていた姿をほどくと、お腹はぼっこりと内臓を取り除かれて拳が入るくらい大きな穴。すこし怖かった。内臓のあたりをがしがしと洗う。血の塊のようなものがふよふよと出て指に絡みつく。

家にある一番大きな鍋に水を張り、とにかく鶏ガラを沈めて、わずかに残ってひからびたしょうがのかけらを足した。臭いかも、と気になって、残り物の日本酒を少し。
弱火にかけ、3時間、ただただ放っておいた。

3時間後、そこには、わずかに白濁したスープと、そこに沈むすっかり白くなった鶏の姿。湯気のむこうでくつくつと揺れていた。
お椀にとりわけて、塩をひとつまみ。そっと口に運んだそのスープの味は、わたしがこれまで飲んできたどんなものより淡く、口から胃に落ちる間に、まるで身体に沁みてしまった。それはおいしいとか、うまみがどうのこうのを超えて、わたしに香った。

それから、わたしは毎週のように鶏ガラスープを引いた。さまざまな調理で出た野菜くずを足したり引いたりしながら。小分けに冷凍して、遅く帰ってきた日はそれに米と野菜を足してリゾットのようにしたり、シチューやカレーにしたり。高熱のときには、電子レンジでチンして、これだけを飲んだりもした。それは世界で一番やさしい食べ物のように、わたしには思えたので。


ずっと雨が降っている。外に出て草の一本でも引きたいのに、それもできないくらい、強い雨。洗濯物も乾かないし、原稿も終わって、担当さんに手渡した。息をついたらふとやることが手から離れたので、わたしは昨日買ってきた鶏ガラをこと、こと、と煮込んでいる。

いつのまにか料理を作ることがとても好きになった。それを食べて井上が「うまい」と言い、胸の中にもスープのようにあたたかいものが染みだしてくる。今もむかしも、自分自身を不幸だと思ったことはなかった。



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