2016年9月20日火曜日

動物のこども

スポンサーリンク
頭の中が文字でいっぱいになって、それが脳ごとどろどろに溶けて鼻から流れ出す。自分から流れ出したどろどろが部屋に満ちてきて、自分の口や鼻のところまでたぷたぷと押し寄せてくる感じ……これがわたしが数日ライターの仕事をしながら感じていたこと。

ひたすら読みやすく整った文章を吐きだすマシーンになって、何時間も何時間も書いていると、文字から意味がごっそり抜けて、それがエビの殻とか乾燥したひじきみたいに画面に踊って見える。

「?」

疲れたら眠る。そしたら、夢のなかでも書いている。ひーっ。



前々から書く仕事はやっていたけど、しっかり一か所と契約して書きはじめたのは最近のこと。母の病気で帰省する直前くらいに決まって、ログハウスに帰ってきてから本格的にやりはじめた。

慣れないことばっかりで、すごく時間がかかる。今のところ、時給に換算したら悲惨なことになっている。でも、こういうのは、今が一番大変で、徐々にやりやすくなっていくとわかっているから、そこは大丈夫。クリエイティブな文章ではなく、与えられたお題に沿って、ひたすら読み手が読みやすいように書く、というのはそういうことだ。



ずっと天気が悪かった。


ネットで天気予報を見たら、また台風だという。どうりで、野菜がとんでもなく高いわけだ。全ての野菜が万遍なく高い。葉物だけ、とかじゃなくて、玉ねぎが一個100円近くして、ううう、と思いながらいつもの半分くらいしか買えない。
これは収入が少ないとかそういうのは関係なく、たぶん、横浜時代でもそうだったろう。わたしは自分の所帯染みさが、所得が上がったからといって直るような気がしないもの。

毎日、毎日、こつこつと草を抜いている。草を抜いているのは、本当に落ち着く。うずくまって、下を向いて、手元にちょこっと出た草を引っこ抜いていく。数日間かけて抜いた草が、庭に山になっていく。
わたしの草抜きは、とても自由。こっちを抜いていたかと思えば、あっちへ。あっちかと思えば、そっちへ。気になるところから抜いていくから、全体がまだらにきれいになっていく。一か所にずっととどまって、そこを完璧にきれいにするというのはどうやら向いていないよう。

短い時は、15分くらい。長い時で1時間くらい。でも、どれくらいの時間でも、経過している感覚は同じで、それはなんか一瞬みたいな感じだ。

やっと秋になったから、果樹の苗を何本も植える。ハーブも植える。いくつか野菜も。種まきは、これから。それらがすごく楽しみだけど、わたしは草抜きが一番好きかもしれない。もくもくと何も考えないでいられるし。
(植えたものとか、これからやることはまた別の記事にします。長くなるので)

井上は、一日のうち、多くの時間をピアノに割き、またブログやなんやかんやをがんばっていて、すごく集中している。

わたしは、あんまり何事にも集中できていないかな。井上が作業している部屋のとなりの寝室で、昼夜問わず、頻繁に短時間だけど、横になって過ごす。体をぐーっと伸ばした後、安心できるように膝を抱えてちいさくなって目を閉じると、何か人間でない別の動物になったような、本当にそんな気がしてくる。

この「動物になったよう」な感覚は、特に、引っ越し途中の東北の旅の途中くらいから、時に強く感じるようになっている。
自分の内外の傷んだ部分を、暗いところで丸くなって、じっと耐えて治すような感じ。その時は、すごく自分と、それいがいの境目があいまいで、ちょっと不安で、触られたくないような感じだ。
でもそれは嫌な感じではない。人間らしい、感傷的な気分とか、複雑な感情は忘れてしまっていて、頭の中はごく単純なことしか考えていない。動物だから。

動物になると、色んなにおいがしてくる。
シーツからそっと立ち上る人の肌のにおい、窓の外の緑色の雨のにおい、シンクやお風呂の水場のにおい、猫のよだれのにおい、土のにおい。そして雨の音。
ここに来て、今まで緑のにおいだと思っていたものの正体が、おもに土と水のにおいだということを知った。そういうにおいが自分にまとわりついて、自分がぼんやりと滲んで見える。
わたしは時々、第三者視点で自分や、井上を見ていることがある。天井あたりから俯瞰していたと思えば、ある時は窓の外から部屋の中を見ている。雨に濡れた柿の木の下あたりから、見えないはずのログハウスの中を見ている自分と、見られている自分のどちらが正しいのかわからなくなって、確かめるように庭に出て、また草をてのひらいっぱいに抜いて帰ってくる。

戻ってきたら、ちょうど、パンが焼き上がる。
あんまりうまくいかない食パンが、つまらない電子音と共にオーブンから出てくるとき、わたしの心は弾む。井上に声をかけて、ふたりで薄く切って食べる。パンって、しあわせって感じの食べ物だ。白く、やわらかく、穴だらけで、外側はちょっと固くて香ばしい。

夜眠るとき、互いのベッドの間にある、指1本分くらいの隙間を気にしながら身を寄せあってすこし話をしながら眠くなるのを待っていると、井上も、黒い大きな犬みたいな動物のような気がして、鼻で肩や脇のあたりをぐいぐい押して、動物どうしのスキンシップみたいなことをしてみる。

井上がわたしの凝り固まった首や肩をマッサージしてくれるうちに、あっぷあっぷまで溢れていた文字の水が栓が抜けた湯船のように少しずつ流れていって、変わりにつま先の方からあかりが消えるように眠くなっていき、いつのまにか、離れてそれぞれが自由な形になって、それぞれのベッドで眠る。もう、外が青かった。



ブログランキング・にほんブログ村へ



スポンサーリンク


スポンサーリンク

0 件のコメント:

コメントを投稿