2016年7月25日月曜日

熊野水軍古座河内祭の夕べ花火大会へゆく - 茗荷と昆布のぬか漬けと梅おかかのおにぎり-

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朝、6時過ぎに井上に起こしてもらう。
睡眠不足だし、緊張しているしで、目の奥がじんじんしている。階段をすっころびそうになりながら降りて、ごはんに自家製ふりかけをかけてさっと食べて、清掃に行く。

ありがたいことに、空はどんよりと曇っている。おかげで、長袖でも涼しいくらい。
集合場所には、村中の家から代表1名ずつが集まっている。
知らない顔、知っている顔、それぞれ。

今日は、川沿いの道の草刈り。
草刈り機をかついだ男性陣のあとを、熊手で刈られた草を集めたり、水路に落ちた草を掬い揚げたり。草は水を含んでどっしりと重い。背中をつーっと汗が流れていくのを感じながら一生懸命やった。

わたしは、道がきれいなのも、花壇に花が植えられているのも、なんだかそれが当たり前のように思っていた。そんなにがんばらなくたって、町は維持されて行くんだと思っていた。でも、それは全て自分でない誰かが、時間と労力を使ってやってくれていたことだったのだな。

みんな温かく迎え入れてくれ、チューペットと冷たい飲み物を頂いて解散となった。やっぱり、終わるとすっきりする。

帰ってみたら、家の中から掃除機の音。井上が、家の不便なところや、気になっていた高いところの蜘蛛の巣やほこりなどを、きれいにしておいてくれていた。洗濯物も、きれいに干されていて、二人でがんばっていたのだな、とありがたい思い。

やっぱり疲れたみたい。その後、気がついたらベッドで寝ていて、町内放送が意識の向こう側でちゃーらーらーと流れている。わたしはそれを聞いて、てっきり夕方の5時まで寝こけてしまったのだと思い込み、1日を無駄にしてしまった悲しみと、井上にごはんを作っていない焦りで飛び起きて、急いでやきそばを作った。
作っている途中で、やっと、それがお昼の12時の放送だったことに気付いて、なぁんだ!となる。そしておいしい焼きそばを、ふたりでつっつきながら食べた。

そして、気がついたらまた眠っていた。




今日は夕方から大事な予定があったのです。それは、和歌山県東牟婁郡串本町の、熊野水軍古座河内祭の夕べ花火大会!
夏祭りと言えば、夜店でしょー、浴衣でしょー、という感じ?でも、わたしたちはバイクだから長袖を着こんで、ニートだからちゃんとお弁当を持って行った。


一度蓋をしてしまってから撮ったので見た目は悪いけど、豚ヒレカツ、水菜とトマト、ゆでたまご、フライドポテト、ゴーヤーの和えたの、白ごはん、そして、裏で採れた茗荷をたっぷり刻んで入れた、茗荷と昆布のぬか漬けと梅おかかのおにぎり。

茗荷はおにぎり1個に対し、1個使う。梅干しは叩いて、昆布は千に切る。おかかは少な目、しょう油もほんの少し。茗荷のかおりがふわっと立ち、梅干しの酸味で、さっぱりと頂ける。
出汁をとった後の昆布をぬか漬けにするのは、すっかりわたしの中で定番になっている。

フライドポテトは夜店で見るとほしくなるので、最初から作っていく。芋に300円も400円も払うなど、わたしにはできない。


42号線をひた走り、串本に入る。わたしたちはてっきり、花火もやるくらいだから、会場付近は交通規制がされていて、きっとすぐわかるだろう、と高をくくっていたけれど、会場はこじんまりと、夜店も無い、ほんとうに地元の人たちのための、伝統のお祭りと言う感じだった。

古座川の河口付近の船着き場がメインの会場なよう。水面には、赤い華やかな御舟が浮かんでいて、お囃子が聞こえてくる。船着き場には、地元の家族連れや、友だち同士が、のんびりと座っている。小さな会場だけど、とてもゆったりしていて、この土地のおおらかさがにじんでいる感じ。


御舟が近寄ってくると、子どもが「御舟がきた!」と声を張り上げる。あんな小さな子どもにまで、ちゃんと舟ではなく御舟なのだと伝わっているんだ。
わたしが見たことのあるお祭りの中でも、一番神聖な感じがするお祭りだった。それだけ、ずっと遠い昔から、この土地の人たちに大事に守られてきた証なんだろう。

おべんとうをむしゃむしゃと食べ終わった頃、花火が始まった。


わたしが撮った写真はこれだけ。
後は、井上ががんばって撮ってくれた。わたしはズルいけど、集中して花火を楽しみたいので。

なんでだろう、大きな花火大会より、こういうちいさな地域の花火の方がずっとロマンチックだよな。こんな、最果ての地みたいな土地で、こんな美しいお祭りがあって、そこで10代の恋なんかしてたら最高なんじゃないかと思う。
そんな空気に当てられて井上に寄り添ってみたけど井上は写真に夢中であった。


暗い海の上を、小さな船外機が走って行き、乗船している男の人が、水面に花火を投げる。
数秒置いて炸裂する半円の花火。空よりもずっと近いから、どきどきする。連続して、海の上に花が咲いていくみたい。



海沿いの家の人々は、好きなように椅子を持ち出して、こうして海岸沿いに並んで座って花火を見ていた。そこは車道なのだけど、誰ももちろん文句なんか言わないし、道が混乱したりしない。それが普通なのだ。花火と同じく、そういう毎年毎年繰り返されている営み、とか、有り方、みたいなことに感動するんだな。

フィナーレは、涙が溢れそうになった。なんというか、みんなとても幸せそうで、わたしも井上もその中に納まって、安心している感じ。
終わると、人は良かった良かったと、笑顔で帰路につく。



さ、帰ろう。




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